画像を触ると振り向きます。




       
         ぼら納屋(ボラナンヤ)

創業は36年前だが、400年近く前に建てられた民家を利用。漁師たちがボラ漁に出漁していた根拠地で、紀州の徳川家も当地でボラ漁をしたと伝えられています。

     ぼ ら 納 屋

ぼら納屋は寛永3年(1627年)に紀伊家(現在 の和歌山付近)が建築し、その後数度増改築が 行われた。ここのぼら漁業は徳川幕府の保護を もとに紀伊家直営で操業されぼらが回遊する頃 (3月〜5月、9月〜11月)には 村人が住み込み船や網の手入れをしながら、ホラ貝や旗を合図に百人以上の村人たちが勇壮に出漁した根拠地である。
ここでとれたぼらは遠く江戸城にも運ばれ徳川三代将軍家光公の食膳を賑わしたとも伝えられています。
この由緒あるぼら納屋を後世に残したいと熱意ある富戸区民の方々の手により、復元されました。


    つり橋へたどり着くまでの景色を堪能して下さい。


    
黒船防備砲台跡
 
黒船の来航により、鎖国の夢を破られた徳川幕府は日本の防備を図るため韮山代官江川太郎左衛門英竜に伊豆、相模、下総、上総、安房の5カ国の海辺防備と巡視を命じた。この防備にあたり沼津藩の水野氏は富戸、川奈に夕顔型、円柱型の大砲それぞれ4門備えた。その後大砲は下田に移し、今ではその跡をとどめるのみである。
 
(説明文抜粋)

日本の航路標識の歴史は古く、遣唐使が乗った船が日本へ帰る目標として炬火(たいまつ)を燃やし続けたのが記録に残る「灯台」の初めとされている


灯台の窓から 灯台の窓から  先端の向こうが爪木崎


旧灯台 新灯台
設置年月 昭和35年3月 平成7年4月
光り方 10秒ごとに1回ピカッと光る 10秒ごとに1回ピカッと光る
光の強さ 100,000カンテラ 100,000カンテラ
光の届く距離 17海里(31.4km) 18海里(33.3km)
高さ  地上から頂部 17.7m 24.9m
     地上から灯火 15.5m 22.5m
     水面上から灯火 36.7m 43.7m


    一部裏通りを通って帰路に
半四郎落としのいわれ

むかし、ここ城ヶ崎にほど近い富戸村に、半四郎と およしというたいそう仲の良い夫婦がおりました。
ある日、半四郎はひとり海へトジ刈りに出かけました。
カゴにいっぱいのトジを背負い、岩場で休んでから家に 帰ろうとつかれた腰をのばした瞬間背中のトジに引かれ海へ落ちてしまいました。
知らせを聞いたおよしはたいそう悲しみ、ここへ来ては立ちつくし涙を流す日が続きました。
以来ここ城ヶ崎一帯に毎年秋になると飛び散ったおよしの涙にもにたイソギクの花が可憐な姿を見せるようになりました。
そして、いつの頃か村人達は「半四郎落し」と呼ぶようになったということです。
イソギク



灯台近くのトイレ「磯ぎくの詩野箱」 城ヶ崎ブルースの歌碑



アルが我が家に来るまで あると呼ばれるまで 天城路 下田祭り 黒船祭り花火 バガテル公園
柿田川公園 黒船祭りパレード









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